小判形の紋に赤い点々をちりばめた実に美しい魚だ。学生時代に山登りのついでに時折釣って食べた。現在のように漁業権が厳しくなく、釣り人も多くなかったので、どこでも気軽に竿が出せた。しかし、先人が釣登ったあとの谷川で釣れないのは今も昔も同じだ。初めて釣ったのは京都の大悲山峰定寺の前で、その美しさに感動したものだ、20センチほどであったが今は20センチもあれば大きい方だ。
2015年8月30日日曜日
アブラハヤ
アマゴ、イワナをねらっていると、きっと釣れてくる魚だ。大きいもので15センチ程度、川の最上流部の小さな水たまりにでもいる。それほど上流でなくても、子供の頃は加茂川の御園橋あたりでもたまに見かけた。体はぬるぬるで、掴むとしばしば精子かなにかわからないが尻から白い液体を出す。百科事典には「味が悪く食用に適さない」とわざわざ書いてあるが、そんなことはない、ウグイなどと較べても特段の遜色はないと私は思う。以前、少学生の子供を連れて埼玉の山にキャンプに行ったとき小さな砂防ダムでこの魚を釣り空揚げにして食べたら、大変好評であった。今、我が家の近くの山の小さな滝壺に、誰も捕らないものだからたくさんいて、パンくずで十分釣れる、釣っても釣っても釣れてくる。小場所だから仲間の数の減少に気付きそうなものだがダメだ、頭のよい魚とはとても思えない。
アジメドジョウ
子供の頃、加茂川の柊野ダムの少し上流で、所々が伏流水になったり、また水が流れたりしているところに時折いた。背中や頭部の模様がシマドジョウとは異なるので、子供ではあったがとにかく魚好きだったので、これはアジメドジョウだとすぐにわかった。旨い魚らしいが、その時は味のことなど考えもしないで、他の魚と一緒に煮つけて食ってしまった。
その頃とはあたりの川相がすっかり変わってしまっているので、今でもいるのかどうか、探せるものなら探してみたいものだ
アカザ
赤っぽい色をした10センチほどの小さな魚だ。加茂川では御園橋の上手の流れの比較的強い瀬に立ち込んで、石の下手で網を受け、石をひっくり返すと同時に足をごそごそさせる、網を上げると川虫などと一緒にアカザが入っていた。素人がアカザを捕るのは、ほぼこのような方法なのではないか。ギギの仲間らしく、刺されると痛そうな鰭をしている。川魚としては珍しい色だと思う、体の動きは柔軟だ。
食べたことはないが、おそらく旨いと思う。
はじめに
川の魚は海の魚ほど種類は多くないし、カラフルで美しいものもほとんどいない。しかし、それだけにかえって身近で親しみの持てるものが多い。私は社会に出るまで、京都市北大路の加茂川の近くで過ごした。少年期はドジョウやハヤ、ヨシノボリなどもっぱら魚とり三昧の毎日であった。
社会に出てから、仕事の関係であちらこちらと転居したが、魚好きはかわらず、釣ること,飼うこと、それに食うことも含めて趣味の世界ではずっと魚と関わってきた。年老いた今も変わらず、我が家でライギョとメダカを飼っている。
加茂川を中心に、近辺の川や池或いは転居先などで魚との思い出を昔に遡って拾ってみた。海の魚も好きなのだが、海での魚釣りは社会に出てかなり立ってからだったので、懐かしい思い出となるとたった一度か二度の出会いであっても川魚の方がずっと身近で鮮明に頭に残っている。50年60年前の話となると、魚をとりまくいろいろな環境が現在とはまったく異なっていたから、もはや「語り部」の世界だ。所詮、昔はよかったというありきたりの話なのだが、そうかそうかと軽く見ていただければ幸いである。
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